
晴海フラッグのまちびらきから、1年。晴海は、近年よく話題になるため、比較的新しいイメージですが、明治時代にまでさかのぼる長い歴史があります。
「そもそもなぜ晴海っていうの?」「いつからタワマンが建ちはじめたの?」など、いわれてみれば、よく知らないことが多いのではないでしょうか。
タワマンが建ち並ぶ現在の姿にいたるまでには、実現しなかった市庁舎の移転や幻の万国博覧会などさまざまな歴史があります。
本記事では、晴海の歴史をご紹介します。現在にいたるまでの晴海の歴史を知りたい方は、ぜひ最後までご覧ください。

目次
「いつも晴れた海に望みたい」から生まれた晴海
「晴海」は東京都中央区に位置し、現行の行政地名は晴海一丁目から晴海五丁目です。勝どきや月島に広がるエリアで、ひとつの島として成り立っているため「晴海アイランド」と呼ばれることもあります。
1937年の京橋区の区議会で「いつも晴れた海を望む」という希望をもとに「晴海町」と命名されました。1965年の住居表示実施により「晴海」と表記されています。
晴海は、明治時代の中期から昭和時代の初期にかけて行われた、東京湾澪浚(みおさらい)工事や隅田川口改良工事により整備された埋立地です。晴海の開発は、近年ホットな話題ですが、湾岸エリアの埋立地としては比較的長い歴史があります。

晴海地区の歴史は明治時代にまでさかのぼる
昭和時代の初期から現在までの晴海の歴史を解説します。
【1930年代〜】実現にいたらなかった市庁舎の移転と万国博覧会
中央区の日本橋から新橋にいたる土地は、江戸時代の徳川家康による大規模な埋め立てによりできましたが、晴海地区の工事は明治時代の初期です。1931年に、約76haの埋立工事が完了しました。
1933年には、東京市会(現・東京都議会)で晴海に市庁舎を移転する決議が通ったものの、反対意見により実現しませんでした。1940年には「紀元2600年記念日本万国博覧会」の会場として使われる予定でしたが、日中戦争の激化を背景に中止されたという歴史もあります。
港湾施設の整備のために生まれた晴海ですが、第二次世界大戦中は、軍需物資の輸送基地として機能しました。陸海軍の倉庫や資材置き場として使用されたようです。
1945年の終戦後、晴海は進駐軍(GHQ)に取り上げられ、飛行場として使用されました。その後、1953年から段階的に返還が始まり、1958年には全面返還が実現しています。同時に、本格的にまちの発展が進みました。
【1950年代〜】晴海埠頭の開業と本格的なまちづくり
1951年以降は埠頭整備が本格化し、1955年には晴海埠頭が開業しました。
1957年には、日本住宅公団(現・UR都市機構)の「晴海団地」が建設されています。晴海団地は、高層住宅のモデルとして建設され、当時大きな注目を集めました。打ちっぱなしのコンクリートの外観や水洗式の洋式トイレを備えており、最新の暮らしが叶うと話題でした。
なかでも10階建ての晴海団地高層アパートは、日本を代表する建築家の前川國男さんが設計し、以降の公団住宅の高層化に向けた重要な足がかりとなっています。晴海団地の建設により、晴海はベッドタウンとして大きく発展しました。
1958年には、晴海二丁目から四丁目にかけて臨港鉄道晴海線(公共埠頭線)が開通し、新聞巻取紙や小麦などの貨物を運んでいました。なお、輸送革新が進み、鉄道貨物取扱量が減少したため、晴海線は1986年に廃止されています。

※写真は東京ビックサイト。東京国際見本市会場はビックサイト完成に伴い平常
【1960年代〜】東京国際見本市会場や晴海客船ターミナルの開業
1959年には「東京国際見本市会場(東京国際貿易センター)」が建設され「東京モーターショー」をはじめとする、さまざまな見本市やイベントの会場として利用されました。
イベントに参加するために、多くの人が足を運ぶようになり、1981年には初の「コミックマーケット」も開催されています。
1959年からは、晴海五丁目の一部の埋立工事が開始され、1966年に現在の約106haの広さに拡張されました。また、1964年には「晴海客船ターミナル」の前身である「晴海船客待合所」が開業し、晴海埠頭に南極観測船が係留されたこともあります。
1991年に、東京港の開港50周年を記念した「晴海客船ターミナル」が完成してからは、国内外の豪華客船が接岸するようになりました。なお、晴海客船ターミナルは、2020年の東京国際クルーズターミナルの開業にともない、2022年に廃止されています。
東京国際見本市会場は、施設の老朽化にともない、有明に建てられた「東京国際展示場(東京ビッグサイト)」の完成後、1996年に閉場しています。
【2000年代〜】晴海ビュータワーを皮切りに高層マンションが誕生
1996年には、老朽化の進んだ晴海団地の建て替えがはじまりました。1998年に、都内の超高層マンションの先駆けとして、50階建ての「晴海ビュータワー」が誕生し大きな話題となりました。
2000年代以降、晴海はさらなる発展を遂げます。2000年に都営大江戸線が全線で開業し、2001年には、晴海アイランドトリトンスクエアが完成しました。晴海アイランドトリトンスクエアは、賃貸物件だけでなく、オフィスやショッピング施設なども入る複合施設です。
2012年に晴海二丁目土地区画整理事業と防潮護岸工事、2015年に晴海三丁目西地区の開発が完了しました。2017年には、晴海フラッグが位置する晴海五丁目西地区の建築工事がはじまり、2025年度に完了する予定です。

ハルフラならではの4つの魅力
晴海フラッグならではの4つの魅力を解説します。
交通網の発達
晴海フラッグの居住者が利用しやすい公共交通機関には、電車や都営バス、TOKYO BRTなどの複数の種類があります。
電車の場合は、マンションから徒歩約20分に位置する都営大江戸線「勝どき駅」が最寄駅です。都営バスを使えば、勝どき駅まで約10分でアクセスできます。勝どき駅から東京駅までは約20分、六本木駅までは約15分のため、都心に通勤や通学する方も困らないでしょう。
また、晴海フラッグには、都心と湾岸エリアを結ぶ「TOKYO BRT」と呼ばれるバス高速輸送システムが整備されています。BRTを使えば、新橋までノンストップで約10分でアクセス可能です。
抜群の眺望
三方を海に囲まれた晴海フラッグは、湾岸エリア屈指の眺望です。高層マンションに住みたいと考える方にとって、眺望は外せない観点ではないでしょうか。
晴海には、晴海ビュータワーをはじめとする、眺望を活かした高層マンションが点在しています。東京タワーや東京スカイツリーまで見渡せるのは、湾岸エリアならではの魅力でしょう。
とくに、三方を海に囲まれ、周囲に視界を遮るものがない晴海フラッグの眺望は抜群です。なかでも2025年10月頃を入居予定とする「SKY DUO」は、“東京の最前列”と表現されるほどの開放感のある眺望が魅力です。
快適な暮らし
晴海フラッグには、快適に暮らすためのさまざまな設備や生活インフラが整っています。
エリアWi-Fiが完備されているため、住んでいる街区以外の施設でもインターネットが使えます。近隣には地域密着型の商業施設「ららテラスHARUMIFLAG」があるため、買い物にも困りません。
さらに、エリア内に消防署や警察署、保健センターなどの行政施設が整備されており、ひとつのまちとして機能しています。便利な暮らしはもちろん、安心感のある生活が実現するでしょう。
子ども向け施設の充実
晴海フラッグは、保育施設や教育施設が充実しており、子育て世代も暮らしやすい地域です。
認可保育所や認定こども園があるほか、2024年4月には、晴海西小学校と晴海西中学校が開校しました。小中学校あわせて約1,000人が在籍しており、晴海フラッグに子育て世代が多く暮らしている様子がうかがえます。
晴海フラッグ内には、プログラミング教室や英語学童保育などが入っており、子どもの学習環境が充実しています。子どもの教育を重視する家庭も納得の施設でしょう。

※上空からみた中央区
埋立地として長い歴史をもつ晴海の発展に期待
現在にいたるまでの晴海の歴史は長く、どの時代でも、湾岸エリアとしてさまざまな機能を果たしてきました。
近年、晴海フラッグはたびたび話題にあがりますが、晴海団地が建設された当時も同じように注目を集めたのでしょう。晴海ビュータワーが高層マンションの先駆けであったように、晴海フラッグでの暮らしは、未来のスタンダードなのかもしれません。
晴海フラッグでは、交通網の発達による利便性の向上や、生活インフラの整備による快適な暮らしが実現しています。2025年10月頃にはSKY DUOへの入居がはじまり、今後ますますスマートなまちへと発展するでしょう。
テキスト:ハルフラ編集部
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